グッチ(GUCCI)専門店

創立者はグッチオ・グッチ。1881年、帽子を製造する家に生まれるが、少年時代に家業が倒産。グッチオは一念発起してロンドンに渡り、一流ホテルに就職した。

 そこで目にしたものは、ゴージャスな旅行客とスーツケース。十九世紀末、汽船、汽車などの発達で交通網は世界的に広がり、上流階級では旅行がブームになっていた。欧米各国からきた客がたくさんのトランクやスーツケースを携えて、ホテルに滞在していた時代だった。

 グッチオは二十世紀に入り、故郷フィレンツェに帰ると、皮革を扱うメーカーや店で働き、学びながら約二十年かけて自分の店を持った。グッチ(GUCCI)の歴史はココから始まります。フィレンツェの伝統技術を生かした品質の高い製品は評判を呼び、上流階級の人々が頻繁に訪れ、一躍高級ブランドとしての地位を確立する。

 1935年、国連による経済制裁で、イタリアは他国との貿易が禁止。皮革の入手が困難となったグッチ(GUCCI)の経営はたちまち危機に晒されたが、グッチオと彼の息子アルドは、在庫していた原皮を極力減らさないように、皮革以外の素材を組み合わせて製品を作ることを考えました。そうして生まれたのが、竹と革を組み合わせた、グッチ(GUCCI)最初のブランドアイコン製品である「バンブーバッグ」。

 1930年代後半には、首都ローマへの進出も果たす。この間、グッチオはショップを法人化し、アルドら三人の息子たちも徐々に経営に参加していく。
 グッチオは1953年に死去するが、ブランドとしてのグッチ(GUCCI)はやがて第一期黄金時代を迎える。1940年代後半のロンドン、パリに始まり、1950年代にニューヨーク、ロサンゼルス、そして1960年代にはバンクーバー、東京、ケープタウン…といった具合に次々と海外市場に進出を果たした。

 この間、Gを重ねたロゴマークや、グッチ独特の赤と緑のストライプも誕生。また「ローマの休日」で知られるオードリー・ヘップバーンやエリザベス・テーラーらハリウッドスターや、ジャクリーヌ・ケネディら世界のセレブリティーたちの御用達となっていった。

 1956年のモナコのレーニエ皇太子(現国王)と女優、グレース・ケリーの結婚式の招待客の贈り物には、グッチのスカーフが選ばれたという。

 グッチオ亡き後は、アルドが経営の中心となり、世界進出もアルドの手腕によるところが大きかった。1965年に発売されたビットモカシンもアルドの発案。アメリカで爆発的なヒットとなり、映画スターからワシントンの上院議員までが愛用したという。

1970年代に入ると、香水を手がけ、グッチ家の三世代目も経営に参加するなど、ますます事業は拡大した。
しかし1980年代に入ると、同族間の対立などもあり、グッチ(GUCCI)は次第に経営状態が苦しくなっていく。

1989年、ドーンメロー女史が副社長兼クリエイティブディレクターに就任。抜本的な企業改革に着手。市場に溢れ過ぎてしまった商品から種類を絞り、伝統的なバッグに現代的な味付けをして発表すると、世界的な話題になり、グッチ(GUCCI)には再び脚光を浴びる。

またグッチ(GUCCI)は七十年に及ぶファミリー企業としての体制に終止符を打つ。株を公開、持ち株をすべて売却。イタリア・ファッション産業界の中では、初の株式を完全公開した企業となった。

1994年、トム・フォードが全てのデザインコンセプトをコントロールするクリエイティブ・ディレクターに就任してからグッチ(GUCCI)は再び快進撃を始める。

新生グッチ(GUCCI)の誕生である。スタイリッシュでセクシーなコレクションを、服にバッグに小物にと展開し、VH-1 ウィメンズ・デザイナー・オブ・ジ・イヤー等を次々に獲得し、トム・フォードの活躍によりグッチ(GUCCI)は経営の危機から世界最高の人気を誇るブランドとしての復活を遂げた。

グッチ(GUCCI)は、現代のセレブリティーたちの注目を浴び続けているブランドになっている。
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